確かにケラチンが多い人の書いている通り,

あるいは寄生獣のラストのほうでミギーが言っていた通り,
個人別の認識は点でしか交わっていないというのはそうかもしれない.
 
過去の自分と今の自分もきっとそうだし,
そんなときのために日記があるんだとどこかの人が言っていた気がするけど,
日記ってそんなに読み返すもんですかのぅ.
 
例えば,教職を取ろうとしてしまった人は講義で聞くことがあるかもしれない話,
幼少期の記憶形成について,その日にあった出来事を物語として語ることの効果.
これは日記でも同じく効果があるだろうとは思うけど,
本当にその日「あったこと」を書くという時系列が重視されるのであって,
自分みたいになんか思ったことをタイピング速度に任せてだらだら書くのは,
そのとき考えていることを文章にしてまとめることで整理する,という方向に
若干目的がシフトする.と思うのでそうしておきます.
 
ということは個人別の認識が空間中にランダムな方向かつ長さで存在する直線だとすると,
こういう日記を書かない状態と書いた状態を比較したときに,
書かない状態のは弱い振動状態で,書いた状態のは固定状態,と形容出来ないだろうか.
 
んー,違うな,振動状態の直線が存在する部分は結果的に広く曖昧になるかもしれないが,
その直線が他の直線と交わったときには明らかに相手側に与える影響は薄いはずだから,
分散状態,と変更しよう.
 
こういう一人会議をやるのにはタイピング速度が結構大事なのですというお話.